巴川水系

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信仰と伝説

巴川流域の信仰

流域での暮らしは、水害との闘いであった事を示す記録が数多く残っています。
清水区富士見町では、今から約360年前の寛永年、数回にわたる大波によって大きな被害を受けたことから、水を司る水神を祀った「水神社」が建てられました。
同じ地区に住む昔の人々は、台風や津波の被害を恐れ、同時に生活に欠くことのできない水の尊さを思い祀ったと言われています。
また、清水区銀座にある「水神社」は、巴川の氾濫を鎮めるために嘉永2年(1849年)に再建されたと言われてます。

 

巴川上流部の竜爪山は、古代から山岳信仰の場として伝えられています。日本の神信仰と外来の仏教信仰とを調和するために唱えられた「神仏習合」、そして民間信仰の霊山です。

竜爪山の写真竜爪山

伝説(いいつたえ)

河童(かっぱ)伝説

江戸時代、馬で情報を伝える伝馬制が整備され、河童に関する数々の言い伝えが広められました。有名な河童の言い伝えでは、巴川にかかる稚児橋(2.7km)のお話しがあります。
1611年(慶長16年)、巴川に初めて橋が架けられました。そこで渡りぞめが行われることになり、古くからのならわし通りに、皆から選ばれたおじいさんとおばあさんが渡ろうとしたところ、どこからかおかっぱ頭の男の子が現れました。そしてアレヨアレヨという間に渡ってしまったのです。その男の子は、そのまま府中(現在の静岡市葵区伝馬町近辺)の方へ歩いて行ってしまいました。実はその男の子は、巴川に住む河童だったのです。はじめはびっくりしていた人々も「あの子供はきっと神様の使いに違いない」とたいそう喜び、その橋に「稚児橋」と名付けたということです。

 

その他にも、清水区高部地区の民話では、命を助けられた河童が巴川の水を産湯に使えば、子どもを水の事故から守ることを約束したと言われています。
また、清水地区に伝わる郷土玩具「デッコロボー」にも河童が伝承されています。この「デッコロボー」は、夜泣きする子供の枕元に立てておくと夜泣きが治ると伝えられています。
河童を通して、昔の人々と河川の精神的な関わりが伝えられています。

デッコロボーの写真
デッコロボー

 

沼のばあさん

昔の麻機地域には“浅畑沼(麻機沼)”があり、その周りには小沼や武平渕と呼ばれた大小の沼池がありました。そのうちのひとつ、浅畑沼には「沼のばあさん」の伝説があります。
後醍醐天皇の時代、「こよし」という美しい娘が生まれました。母親がすぐに亡くなったので、こよしはお婆さんに育てられました。
こよしが17才になった年の夏、こよしのお婆さんが病気にかかってしまいました。こよしはお婆さんの病気が治るようにと、毎日浅間様にお百度参りを行っていました。
ある日、お参りに行く途中で川を渡ろうとしたこよしは、河童にさらわれてしまったのです。そのことを聞いたお婆さんは龍に姿を変え、その河童を退治したあと、沼を守るために水の底に身を沈めました。
不思議なことに、お婆さんが身投げをした次の年から「法器草」という霊草が育ち、村人はその根を食べて飢えをしのぎました。村人たちは「あのお婆さんが、この不思議な草を沼に生やして下さったのだ」と言って、お婆さんの魂を諏訪神社に祀ったとされます。
葵区南沼上の諏訪神社では、7年に1度大祭がとり行われます。かつては、周辺地域の人が心待ちにした祭典で多くの見物客で賑わいをみせたそうです。
「沼のばあさん」にまつわる話は、大谷川放水路の下流部にあたる大谷地区にも伝えられています。

 麻機遊水地の風景の写真麻機遊水地の風景